大相撲

出羽系対ニ所系 下

昭和40年一月場所から部屋別総あたり制が始まった。
その中でニ所ノ関(元佐賀ノ花)部屋の分家片男波
(2代目玉乃海)部屋から横綱が誕生した。玉乃島
改め3代目玉の海であった。横綱のチャンスをのが
し、ようやくつかんだ横綱だった。玉の海は腰で取
る相撲で双葉山と比較する楽しみがでてきた矢先亡
くなった。

<玉の海>

玉の海は虫垂炎で入院していたが、右肺動脈幹に発
生した血栓症が原因で帰らぬ人となった。亡くなっ
たとき無念の表情だった。本当に惜しい横綱を失っ
た。日本中の大相撲ファンは言いようのない悲しみ
に襲われた。

ニ所ノ関(元佐賀ノ花)部屋の分家佐渡ヶ嶽(元琴
錦)部屋からまさかの横綱が生まれた。琴櫻である。
しかし32歳であったため、短命で終わった。

<輪島>

花籠(元大ノ海)は初代若乃花に続いて2人目の横
綱を育てた。天才輪島である。学生出身唯一の横綱
である。左前みつ右おっつけからの下手投げで優勝
14回を達成した。

増位山父は師匠元滝ノ川の三保ヶ関亡きあと出羽海
部屋に身を寄せていた。引退後は三保ヶ関部屋を復
興した。苦労の部屋経営の中で横綱北の湖を育てた。
史上最年少で横綱になっただけに記録の更新が期待
された。優勝決定戦に弱く優勝は24回で終わった。

<北の湖の記事>

花籠(元大ノ海)部屋の分家二子山(元初代若乃花)
部屋から横綱が生まれた。2代目若乃花である。素
質・素材は文句なしだが大成しないで終わった。

出羽海(元佐田の山)部屋から思いがけず横綱が誕
生した。三重ノ海である。年齢が31歳だったから短
命に終わったが、連続優勝と全勝優勝が最後の花だ
った。

2代目若乃花と青森から夜行列車に乗って上京した
隆の里が横綱に昇進した。二子山(元初代若乃花)
部屋から2人目の横綱であった。おしん横綱と呼ば
れ、千代の富士に対抗した時期があった。

入門から注目された力士が元貴ノ花の息子若花田・
貴花田である。二子山(元初代若乃花)部屋の分家
藤島部屋でのことである。期待に応え貴乃花・3代
目若乃花として横綱に昇進した。この時は二子山と
藤島は併合して二子山部屋としてであった。若貴フ
ィーバーで連続666日満員御礼を記録した。

<貴乃花(右)と若乃花>

元佐田の山の出羽海のとき分家独立の不文律は事実
情解消された。独立した元三重ノ海の武蔵川部屋か
ら横綱が誕生した。武蔵丸である。貴乃花は後期は
この武蔵丸と優勝を争うことになった。

二子山(初代若乃花)の分家が鳴戸(元隆の里)部
屋である。死去後部屋を継いだのが元隆ノ鶴の田子
ノ浦部屋であった。そこから稀勢の里が横綱になっ
た。だが、致命的なケガで大成できなかった。

部屋別総あたり制では出羽系3人、ニ所系8人の横
綱が生まれた。トータルでは出羽系13人、二所系11
人とかなり肉薄した。今後どういう展開をみせるか。
予測しがたい。

(この項目終わり)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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