昭和30年の大相撲専門誌を眺めていた。相撲部屋一覧が巻末に掲載
されていた。弟子がいる部屋は28あった。相撲部屋は現在45あるか
ら70年前よりはるかに多いといえる。
昭和30年にある相撲部屋で現在も引き継がれている部屋は6部屋し
かない。
出羽海
春日野
時津風
高砂
立浪
伊勢ノ海
昭和30年時点で、春日野は元栃木山、時津風は元双葉山で事実上の
部屋の祖である。伊勢ノ海も元柏戸が興した部屋である。立浪は現
在元旭豊だが、先代立浪である元安念山と年寄株をめぐり裁判沙汰
になった。大島(元旭國)部屋出身元旭豊が勝ったが、系統が変わ
ったといっていいかもしれない。

現在ある部屋と同名の部屋がある。
ニ所ノ関部屋
追手風部屋
朝日山部屋
西岩部屋
ニ所ノ関部屋は玉錦-玉ノ海-佐賀ノ花-暫定師匠十勝岩-金剛と
つないできた。金剛の代で部屋を閉じた。最後の弟子4人は引退と
なった。現在のニ所ノ関部屋は元稀勢の里が田子ノ浦(元隆の鶴)
部屋から独立したものである。


追手風部屋は元清水川が独立した部屋だった。だが、定年が近づい
たとき立浪(元羽黒山)に併合した。現在の追手風(元大翔山)部
屋は立浪(元安念山)部屋から独立したものえである。
朝日山部屋は大阪相撲の流れを組む部屋である。昭和30年時点は元
二瀬山が師匠だった。亡き後は弟子の元若二瀬が継いだが彼の代で
終わっている。現在の元琴錦は独立して朝日山部屋を起こした。
西岩部屋は元鯱ノ里が若松(元射水川)部屋から独立した部屋であ
る。のち若松部屋に改称して元房錦-元朝潮の大ちゃんに継がれた。
現在の西岩部屋は元若の里が田子ノ浦(元隆の鶴)から独立したも
のである。
相撲部屋に栄華盛衰はつきものだが、現在の部屋は70年後どうなっ
ているだろうか。