大横綱の大鵬なら年間72勝以上は多いように思われた。だが、実際
は2回しかない。最初は昭和37年である。横綱2場所目から7場所
目である。77勝13敗であった。優勝は4回であった。
次は翌年の昭和38年である。81勝9敗であった。初めて年間勝利が
80勝を超えた。大鵬は第一次6連覇中であった。優勝は3回であっ
た。

惜しかった成績が2回あった。まず昭和36年の71勝19敗である。大
関5場所、横綱1場所の時期だった。優勝は3回だった。新大関の
10勝5敗が響いた。
次が昭和40年の71勝19敗である。五月場所の9勝6敗(1不戦敗あ
り)が痛かった。これには事情があった。場所前、海外巡業で拳銃
を持ち帰ったことが発覚し、隅田川に捨てたという。通常の精神状
態ではなかった。
昭和41年以降は休場がからみ、大鵬が72勝以上をあげることはなか
った。
大鵬と抱き合わせで横綱に昇進したのが柏戸であった。前みつを取
って走るのが柏戸の相撲だった。だが、勢い余って取りこぼしたり、
土俵下に落ちてケガをしたりした。柏戸はついに年間72勝に届かな
かった。最高は昭和41年の71勝19敗だった。
綱の重さにつぶされたのが栃ノ海である。ケガもあり、負けと休場
が目立った。大関だったら名大関になっていた。

苦労して横綱に昇進した力士が佐田の山である。結果はともかく、
大鵬とは熱戦が多かった。昭和40年は部屋別総あたり制が始まった
年だった。その年佐田の山は74勝16敗の成績をあげた。大関が1場
所あった。優勝は2回であった。